民主主義への挑戦か

 7月8日、安倍晋三元総理が銃撃されたあと、政治家もメディアも 「言論を暴力で封じようとする民主主義への重大な挑戦」 と論陣を張った。

 

 なんで即座に政治テロだと思ったんだろうな。おおかたの予想は安倍政権に反対する左翼勢力による暗殺だと決めつけていた。よほど撃たれるほど怨みを買ってる自覚があったわけだ。

 

 その後、政事犯でなくカルト宗教がらみの怨恨であったとわかり、安倍シンパの落胆がアリアリだった。若狭勝などは、執拗に山上徹也容疑者の言動の 「不自然さ」 にこだわり続けていた。こんなに早く動機を供述するのは、政治テロをカモフラージュするためじゃないか、というんだな。

 

 もし安倍がテロで斃れたのなら、連中都合が良かったのかね。民主主義への挑戦といいながら、国民の権利を制限する全体主義的方向性に動く好機にできるとでも? そういう魂胆を思うと、つくづく安倍元総理が哀れだよ。